高麗神社への旅、「天下大将軍」と「地下女将軍」。
2021年5月
天気が久々晴れて、通勤中にずっと気になっていた高麗川駅へぶらりと散歩に出かけました。そのきっかけは、偶然と浮かび始めた高麗川という高麗は、まさか韓国の歴史で出てくる高麗ではないか?という疑問でした。
電車でJR川越駅から高麗川駅まで20分ぐらいの距離で位置され、日帰りで自然を満喫できる場所です。正面の赤い屋根の建物が特徴の高麗川駅、割と小さな駅で静かな町の印象です。
駅を出たら、右側に「天下大将軍と地下女将軍」で書いている将軍標の案内看板が見えます。将軍標は、北朝鮮・韓国の村落に見られる魔除けのための境界標で、村落の入り口に設置していたと知られています。なんとか、韓国ぽい感じで、その関連性にますます興味深く思い、旅中ずっとワクワク感を失わず楽しめることができました。
- 高麗っていったい何を示すのか?
- なぜここにあるのか?
- 朝鮮・韓国ととんな関連性があるなのか?
高麗神社までは、JR高麗川駅から歩いて20分ほど、町の風景と都心ではあんまり見ることのない自然を楽しみながら、ゆっくり散歩できました。
ここは高麗川「出世橋」があります。ご利益ありそうです。
高麗神社の入り口案内文は、韓国語で「고향보도」と書いてあります。
なぜ「故郷歩道」をハングルのみで書かれたんたろう?
高麗神社は白髭神社とも称し、 高麗郡の大宮と知られています。
高麗神社の入り口に設置されている、鳥居と石で建てられた将軍標。
高麗を紹介するためのトライ(渡来)君と妹のミライ(ミライ)ちゃんのキャラクタを発見!
高麗神社の案内板には、こう書かれていました。
『高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光を祭る社である。高句麗人は中国大陸の松花江領域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが霊亀2年(716年)そのうちの1799人が武蔵国に移され、新しくご高麗郡が設置された。高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で沈した。郡民はその遺徳を偲び、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の子孫によって社が護られており、今でも多数の参拝客が訪れている』
国を離れて苦しむ現実を受け止め、武蔵野の開発に尽くし、貢献した高麗王若光と後をつく子孫だち、高麗の人々が1300年以上他国で続けて来た生き様の痕跡に敬意を払い、長い時間足を止りました。
幼いごろ住んでた村の家と似ていました。
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